人生ストーリー


「人生ストーリー」は、つきつめると、自分自身を知り、どう生きるのか、生きたかであって、簡単に見よう見まねで小説でも書くようなノリでつくれるものではないのでしょう。そこまで、考えると、巷には、私よりふさわしい人が本を出したりセミナー、セラピーをやったりしています。私自身も結構そういう世界に興味はあるし、いまだに、いろいろと本を読んだりしています。私は、具体的に楽しめることをとっかかりに第1歩を踏み出して、皆が人生を楽しめるようになりましょう、という考えでこのホームページを作っています。

私がなぜこんなふうに考えるようになったのかと言えば、

その第1の理由は、

年齢そしてなんとなく見えてきた将来を意識するようになったこと。

まず、周囲の環境の変化です。特に、毎日一日の大半を過ごす仕事の環境です。自分では、結構、年齢は意識していない方で、気持ちはまだ20代(ちょっと言い過ぎか?)のつもりでいますが、やはり、立場も上がり、若い人がいれば、冗談でも「年寄にそんなことさせるな」とかなんとか年をとったという意味の言葉をふざけ半分で会話の中で使うようになってしまいました。そうすると、自分に言い聞かせているようなことになっているのかもしれません。

そして、意識してきたせいか、たびたびあるように思える、定年退職する人の「感謝の会」のメールアナウンスです。実際に身近の人の感謝の会には、昨年ぐらいから何度も出席しているように思われます。自分も、このままでは、あと5年でこうなるのかと考えされられます。そして、結局は、会社の話で多少なりともお褒めの言葉をいただき、その後はお金がなければ再雇用してもらって、会社生活を続けるのか。何か、自分が望んでいる姿とはとても思えず、寂しさを感じてしまう自分がいます。そして、

自分の「死」がだんだんリアリティをもってきたこと。

ふとしたきっかけで、父親のことを思い出しました。それほど、親子関係が強かったわけでもなく、むしろ、あまり良い思い出は無いと言った方が近いかと思います。でも、父の最後は58歳、癌でした。知らず知らずのうちに、自分はその年まで3年を切ってしまっています。あと3年でいったい何ができるか。というより、このままの人生が続いて、死を迎えた場合、どう考えても後悔するのが見えています。やりたいこと、やるべきことをやっていないではないか。多分、人生の折り返し点は過ぎてしまっているのに、それを直視せず、永遠に生きていくような気持ちで生きているのではないか。不安ばかりが募ります。ようするに、デッドライン(まさにデッド(死))を意識するかどうかです。性格的にも、追い詰められないとやらない方なので、まだ時間があると「あとでいいや」とすぐに「先延ばし」してしまいます。しかし、その先延ばしができなくなってきた、締切が迫ってきたという実感が迫ってくるようになりました。

私と同世代の皆さんは、このような考えが入り混じり、漠然と不安を抱えて生きていませんか。

さて、この「モヤモヤ感」は、どう解決すべきなのでしょうか。これは「人生論」と言えるのかもしれません。大昔から偉人達が論じ、それなりに結論がでているのでしょう。まじめに、トルストイの人生論など読んだこともないので、私に論ずる資格はありませんが、先達の言葉に答えがあるのかもしれません。自分にとって、心から納得できる議論なのかどうかはわかりませんが。学生時代には、時間がある若者の特権というのか青春というか、本を読んだりして、人生についてそれなりに考えていたかと思います。その時と今の決定的な違いは、年齢はもちろんですが、当時は「将来性、可能性」に満ちていたのに対し、現在は、「将来性」に対する不安、「可能性」への疑いに替わってきていることではないかと思います。

どうすべきかということに対する私なりの考察は、「生きがい創造サイクリングで得られること」に、述べましたが、結局、今のところ、こんなことが生きがいを持って生きることなのかなと思つています。

「こんなことをした、あんなことがあった、苦しかった、楽しかった、悲しかった、嬉しかった、あらゆる感情の変化を、こみ上げるように話し続けられる。それで初めて私らしい「人生」なのです。そして、死ぬ前に、このような自分の人生ストーリーを、楽しく語れること、そして、それまで、楽しく自分のストーリー作りをすること。

私の場合、そのために、今できる行動がサイクリングでした。ぜひ、一緒にサイクリングをしませんか。「トライアルコース」に私がやっているサイクリングイベントを掲載しています。

 

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