代表プロフィール

1958年埼玉県生まれ。父親は戦争のため大学に行けず、思ったような職に付けなかったことから酒を飲んでは仕事を休むといったことを繰り返していました。暴れることもしばしばでした。幼少期の思い出と言うと、つい、喧嘩が絶えない家族の光景が思い浮かんでしまいます。楽しそうな友達の家族がものすごく羨ましく思えたものです。結局、私が大学卒業してまもなく父が亡くなるまで、そんな状態が続きました。

 家族旅行などしませんでしたし、小学校から高校まで同じ市内の学校に通ったので、遠くどころか市外へすら出ることもありませんでした。でも、なぜか広い世界、外国に対する憧れを持っていました。

 大学に入ってからは、ワンダーフォーゲル部に入り、あちこちの山に登りました。生まれて初めて、抑圧から解放されたような気持ちになれました。仲間にも恵まれ、必要以上に感傷的になったり、飲んで騒いで山に登ってと、本当に楽しい時間でした。自信も芽生え、何でもできるような気持ちになれました。

 クラブ活動の中心となる大学3年を終え4年生になった時、外国への思いが募り、思い切って休学することにしました。雄大なカナディアンロッキーに憧れてカナダへ行くことにしたのです。とりあえず、お金を貯めるためアルバイトを始めましたが、そんな生活を始めて間もなく、思いがけないチャンスが巡ってきました。某建設コンサルタントがアフリカのリビアのダムプロジェクトに学生アルバイトを募集していたのです。数倍の競争率でくじ引きになりましたが、運よく引き当てました。

 そして憧れの海外。興奮の毎日です。リビアでは、現地人、出稼ぎのアルジェリア人、フィリピン人など積極的に話かけ、多くの友達ができました。イスラム独特の雰囲気、灼熱の地で信じなれない熱風。全てが新鮮でした。帰りにはヨーロッパの国々をバックパッキングで回り、ヨーロッパの雰囲気を満喫しました。

 帰国後は、当初の目標の国カナダを自転車で横断するため、活動を再開しました。新しい自転車を買い、国内で足慣らしをしてからアラスカへ。アラスカからカナダディアンロッキーへ、そして東海岸へと、約4か月11,200kmの旅行となりました。自転車で走り切った達成感と満足感。旅の途中で出会った人々との楽しい交流。全てが、私の人生に輝きを与えてくれました。自転車を降りてからは、米国、メキシコ、ガテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカとバックパッキングでの旅をし、ラテンの雰囲気を楽しむこともできました。

 大学に復学1年後の1982年、建設コンサルタント会社に就職。自由気ままが一転して、仕事人間に転身です。午前様あたりまえの毎日。でも、就職した時は、会社員のままでいるとは思ってもみませんでした。結局、何度も退社を決意しては思い留まることを繰り返しました。

とにかく約7年間、むちゃくちゃに仕事をしながら時が過ぎ去りました。しかし、大学時代に旅行した時の光景が忘れられませんでした。アメリカの大学のキャンパスの寮に泊まった時に見た、自転車が置いてある風景、広いキャンパスを学生が思いのままに歩く姿。自分もそんな雰囲気にひたってみたい。アメリカの大学生活を経験したいと言う夢が膨らむ一方です。仕事が忙しくても早朝の英会話学校に通いながら入学申請しました。何度か申請するうち1989年に入学が認められました。退社するつもりでしたが、いろいろあり、会社に在籍したまま留学することとなりました。アメリカでは、大学院での勉強、実の兄弟のようになったルームメートとの生活。素晴らしい友人との出会い、と素晴らしい時を過ごすことができました。

 1991年に帰国。その後は、以前と同じようにひたすら仕事人間に逆戻りです。同時に、常に自分の能力に限界を感じ苦悶を続けました。そのため自己啓発や能力開発など、様々なことを試したものです。1994年には瞑想に凝り、会社を辞めてインストラクターになろうとまで考えたものです。

 一時、会社から出向で外部に出た時は、かなり自分の思いどおりに仕事もでき、再び自信のようなものを取り戻すことができました。しかし1997年、出向から戻ると、再び自分の能力、人間性などに悩み、癒しのセミナーなど所謂スピリッチャルな世界にもかなり浸ることとなりました。

 そして1998年に結婚しました。妻は仕事で遅くなることに耐えられず気持ちが不安定になりました。子供ができるとさらにその傾向が極端になり、会社にも事情を話して早く帰ることとしましたが、上司からはいじめに会い(この言葉を使うことには抵抗がありますが、少なくとも、そう受け取るほど精神的には追い詰められていました)、会社と家庭との板挟み。毎日が本当に苦しい葛藤の日々となりました。

ついに限界がきて2000年。もっと時間にゆとりが持てる会社に転職しました。責任ある立場で、それなりに満足感は得られました。しかし、妻の望みに答えるべく、時間になれば仕事も部下に途中で任せて帰ることになり、常に自責に念を持つとともに部下に対しても負い目を感じ、遠慮をする自分に大きなフラストレーションを抱えていました。それでも、これは乗り越えなければいけないと自分に言い聞かせ、家庭に対しても仕事に対しても最大限のことをしたつもりです。しかし常に気持ちの休まらない自分がいました。

これまでの自分の人生。心の傷。妻や子供との関係。自分自身への不満。乗り越えられない自分に悩みつつも、とにかく走らざるを得ない。自分をどうとらえ、どう律して行くべきか。常に自問自答の日々です。でも、時々は、よく頑張っていると自分を褒めたいと思います。

今は、生きていて楽しい、よかったと思える人生を生きたいと願いつつ、毎日挑戦の日々です。

サイクルフィフティ代表 生きがい創造サイクリスト  

一般社団法人 日本元気シニア総研 元気シニアビジネスアドバイザー

木下敬史

顔写真

 

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