生きがい創造サイクリングで得られること

私が、「生きがい創造サイクリング」を始める訳

【 目  次 】
■定年が近づくにつれて膨らんだモヤモヤ
■モヤモヤを感じるようになった私の仕事人生とは
  もがきながら生きた時期
  待ってくれない人生。そして定年へ
■では、「満足できる人生」、「生きがい」とはいったいなにもの?
  宗 教?
  スピリチュアルな世界?
  自己啓発?
  あらためて、「満足できる人生」、「生きがい」とは
  幸せとは
  「人生」そして「生きがい」
  一念発起した2人の話
■自分自身を振り返ってみて
■だから、生きがい創造サイクリングを始めます

   これを読んでいるあなたは、私と同世代の方でしょうか。毎日どんな気持ちで過ごしているのでしょうか。私のように会社員でしょうか。どんな仕事ぶりです(でした)か。仕事第一人間ですか。ワークライフバランスがとれて、そこそこ楽しんでいるのでしょうか。このホームページのタイトルの「生きがい」をキーワードに検索されたのであれば、自分の人生にモヤモヤした不安を抱いているのですか。

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■定年が近づくにつれて膨らんだモヤモヤ

    私は、正直、不安があります。生きていて良かったと思えるような満足できる人生にするためには、そして、毎朝、ワクワクした気持ちで布団から飛び出すような素晴らしい毎日を過ごすにはどのようにすればよいのか。いつも考えています。自分を奮い立たせたと思えば、落ち込んだり。そんな気分のアップダウンの繰り返しです。

  55歳にもなると、振り返れば長かったような短かったような人生です。何せ半世紀です。

  そんな、自分の過去、現在、そして見えてきた将来。先のことを考えると、こうなって、こうなって、とおおよその姿が見えてきますか。会社員であれば定年まであと何年。それまでは、現在のポジションからどうなってどうなって・・・。そして、なんといっても、リアルになってきた「死」。つまり、人生の「まさに」デッドライン。締切です。死ぬときに、今までの人生を振り、「やることはやった」、「自分の思うとおりにできた」などと満足できるのか。

   定年になると、会社の中では、「○○さんへの感謝の会」なるものが催されます。会では、(人望があれば)沢山の人が集まってくれて、先輩、後輩、いろいろな人が面白おかしくその人のエピソードを披露し、ほめたたえます。実は、昨日も参加しきました。あと5年ほど今のままを続ければ、今とさほど変わらないまま、定年を迎え、何人が参加してくれるかわからない「感謝の会」に出るのでしょうか。

■モヤモヤを感じるようになった私の仕事人生とは

振り返ってみると、私は、大学生までは、それなりに自由に、また明るい将来をイメージして生きていました。好き勝手をしていたし、楽しい学生時代を過ごせたと思います。その頃は、「今しかできないことをやろう」などと漠然とではありますが考えて行動したつもりです。

【もがきながら生きた時期】

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   しかし、会社に入ると、一転、完全な会社人間になりました。周りに流されたと思います。周囲と調和しないことを恐れ、他の人に遅れをとりたくないという自負心も手伝って、単純に頑張っていました。それでも、会社に入ってから何度か辞めようともしました。最初はロシア語の通訳になろうとしました。次は、アメリカ留学のため(結局、在籍したまま留学することになりましたが)。帰国後は、アメリカに住むことが夢になり、日本人を顧客にするアメリカの法学部に再度留学しようとしました。その後は、なんと瞑想のインストラクターになろうとしたこともあります。支離滅裂。落ち着かない子供のようです。それでも結局は会社員に戻り、再び同じような毎日を繰り返しました。違和感はあったものの、仕事に対するプライドもあり、普段はあまり考えずに過ごしました。会社を辞めようとしたのは、ちょっとした人生のイベントだったかもしれません。でも、それは長い年月の中のほんの一瞬です。振り返ってみても、記憶の大部分は仕事の日々が占めています。

【待ってくれない人生。そして定年へ】

    何をしようが、すまいが、何を考えようが、考えまいが、時間も人生も待ってくれませんでした。自分の求めている人生ではないと感じながらも、20代・・まだまだ、若いや。30代・・まだ人生の半分も来てないか。40代・・人生半ばは過ぎてしまったが、仕事は忙しいし、家庭ができて子供も生まれ、転職も経験して、知らぬ間に50代・・と、こんな調子でずるずると年を重ねました。

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   30代までは「まだ、人生半分も来ていないし、これからは、きっと良い方向に向かって行くのではないか」などと漠然と根拠の無い期待をしていました。もっと真面目に考え、確たる行動を起こすべきでした。残念ながら、細かく、しかも長期的な計画を立てて実行するのが苦手です。40歳になり結婚すると、ますます考えられなくなりました。ほとんど、家族のあれやこれやで、目一杯。精神的にも肉体的にも、更に余裕が無くなりました。様々な葛藤の中、あっという間に10年が過ぎて50代に突入、そして今に至ります。この年になるとほぼ確実に人生半分は過ぎていますし、私の父親の生きた年に届くところです。いやがおうでも、これまでの人生、これからの人生、そして死ぬとき自分はどう思っているのか・・と考えがめぐり始めました。「不惑」ならぬ「始惑」です。今55歳、あと5年足らずで「定年」、人生の節目に直面します。そして、その先の「死」も結構リアルになってきました。やっと、本気で「人生が終わるとき後悔したくない」、「満足できる人生にしたい」、という思いが強く迫ってきます。なにせ、もう先延ばしできない状態になりつつありますから。

■では、「満足できる人生」、「生きがい」とはいったいなにもの?

【宗 教?】

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  自分の人生に嫌気がさしたとして、それを満たすためにいろいろなことをされるでしょう。まず、思い当るのは、宗教です。古来、迷える人の拠り所として生きることの「価値」や「意味」を与えてくれたのが宗教でしょう。私は、神の存在は信じていますし、キリスト教会で牧師さんの説教を聞くのも好きです。キリスト教の聖書のみならず、仏教などの教えも、ものすごく感銘を受けます(日本人らしく、ごちゃまぜですが)。先祖も敬いますし、お盆の風習など、先祖とのつながりがあるという感覚も持っています。ただ、特定の宗教に帰依しているわけでもなく、信心深い生活をすることだけで人生に満足できるとも思っていません。いうならば俗物なのかもしれません。

【スピリチュアルな世界?】

では、宗教に頼らないとすれば、どうするかと言うと、本屋さんに行けばいろいろなジャンルのものがおいてあります。最近はネットで探せば様々なセミナーも見つけられます。ちょっと怪しいと思う人もいるかと思いますが、スピリチャルなものもあります。これには、夢が実現するというような主旨のものもあれば、人間としての精神的な成長を目指すものもあります。私も、仕事人生の中で悩み、通常よりは精神世界を経験しました。瞑想その他、あらゆる種類の精神世界の本を読んだり実際に体験もしています。今でも、精神性が重要だと考えていますが、いまのところ、それによる人生の満足が得られているわけではありません。

【自己啓発?】

   たいがいの本屋さんには、自己啓発のコーナーがあります。「ポジティブシンキング」、「成功する」、「やりたいことをする」、「好きなことをする」、「思いどおりに生きる」、「金持ちになる」等々。いろいろな方法論が並んでいます。私は、これらついても経験豊富です。ありとあらゆる自己啓発プログラムに時間とお金を投資しました。残念ながら、これも期待するほどの成果はでていません。今でも、向上するためには必要と思い、手当り次第にトライし続けていますが。

宗教、精神世界、自己啓発、とやってはみたものの、現在のところ人生の「満足」にまで至っていません。

 【あらためて、「満足できる人生」、「生きがい」とは】

   ここで、なんとなくわかったつもりになっている「満足できる人生」や「生きがい」とはいったいどんなものなのかを考えてみましょう。自己啓発に近いですが、「成功すること」、「思い通りに生きること」、「お金持ちになること」、「家族や仲間に恵まれること」などいろいろあるかと思います。そういったものを手にする努力をすれば、「満足できる人生」になるかもしれませんし、ならないかもしれません。私の場合、今だにそれらが実現していないから、日々満足できないのでしょうか。

【幸せとは】

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   多くの人は人生の一番の目標は何かと聞かれれば「幸せ」になること、あるいはそれに類することを答えるのではないでしょうか。「満足できる」とは結局、この「幸せ」という気持ちや状態を味わえるということなのだと思います。では、この「幸せ」とはどういうものでしょう。月並みですが、広辞苑(第六版)をみると、「心が満ち足りていること。また、そのさま。」だそうな。ただ、「心が満ち足りる」とはどういう状態なのでしょう。「幸せとは、人間が長時間にわたって、心地よく快適に物事を考えることができる心の状態」(「サイコ・サイバネティックス」 マクスウェル・モルツ著)といった言い方もあります。定義から言うと「幸せ」とはこのようなものでしょう。きっと、そのような状態になりたいのだと思います。ただ、それを知っただけでは、どうすれば「幸せ」の状態になるかはまだよくわかりませんよね。

【「人生」そして「生きがい」】

   次に、「人生」とは何なのか考えてみましょう。一応、確認のため広辞苑をみます。「①人がこの世で生きること。人間の生存・生活。②人がこの世で生きている間。人の一生。」と、ほとんどズバリそのものです。何の感情も感じられません。私達が「人生」というときは、もっと感情がこもった意味で使っていると思います。人生とは、一日や二日でできるものではなく、年月をかけて積み上げた事実が築きあげるものでしょう。そして、何も無い平穏無事な時間経過もそれはそれで良い人生として受け止める人もいるでしょう。でも、それでは、私には面白くもなんとも無く意味も無いのです。その期間を、「平穏無事でした」としか表現できないとすれば。私にとって、「人生」は自分の行動、自分のあり方が紡ぎだす「ストーリー」なのです。「平穏無事」の一言で終わってしまうようでは、ストーリーには成りえないのです。こんなことをした、あんなことがあった、苦しかった、楽しかった、悲しかった、嬉しかった、あらゆる感情の変化を、こみ上げるように話し続けられる。それで初めて私らしい「人生」なのです。そして、死ぬ前に、このような自分の人生ストーリーを、楽しく語れること、そして、それまで、楽しく自分のストーリー作りをすること。それが、「幸せ」であり、「生きがい」であるような気がします。このように「人生」というものから考えてみると、「幸せな、生きがいのある人生」とは、こんなイメージになりそうです。

   ついでに付け加えれば、実に、日本人の3人に一人は癌で死亡します。60代ですと4割以上です。つまり、3人に一人は、死ぬまで何か月もの間、やりたいことをやっておけばよかったと後悔しながら生きる可能性が高いということです。やったことは後悔しないでしょうが、やらなかったことは非常に後悔するでしょう。これは、ほんとうに辛いことだと思います。

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主な死因別死亡数の割合(平成20年)(厚生労働省HPより)

   そして、時間をかけて築き上げられるものが人生だとすれば、それと必ずセットになる「時間」があります。それが「死」です。大方の人は、若いうちは「死」を感じられない、あるいは、それがあることすら忘れてしまうので、人生の濃さ・薄さが気になりません。しかし、特別に大病を患ったりしない場合は、年を重ねるうちに、「死」を思い出します。そして、その「死」がどんどん近くなってくるに従って、そのリアリティーが増し、有限な自分の人生を痛感して、多少なりとも恐怖を感じ始めることとなります。これによって、初めて今生きている毎日に色がついてきます。「生」ばかりを意識している(というより死を意識していない?)ため、光があっての影であるように、「死」があって初めて「生」が見えるのでしょう。でも、このことは、皆が知っていることです。大病をわずらって、それからは貰った人生と考え、充実した人生を送っている人の話は枚挙にいとまがありません。悲しいかな、それば自分の身に降りかかってこない限り、わかっていてもそのように生きられないのが、人間の弱さではないでしょうか。そんな事を考えるよりも、楽に生きていたいと思うのが人情ではないですか。病気のような強烈なインパクトがなければ、定年を迎えたり、体が徐々に言うことを聞かなくなったりで、「死」と「生」のコントラストがゆっくりと増してくるものの、そのことに対する感性が鈍くなっている。「茹で蛙」の逸話のように「鍋の水の中にいる蛙は水温が上がってきても、水温の上昇がゆっくりであれば鍋から飛び出さず、気が付いた時にはお湯の中で茹であがってしまう。」というのと同じです。

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  あまりに人の一生に似ているではないですか。定年が視野に入ってきて、茹であがる前に飛び出すかどうかの判断をしなければいけない時期に差し掛かっているような気がします。別に会社を辞めなければいけないということでもありませんが、何かを「変える」勇気が必要だと思います。ただし、この頃は、死んでゆくという事実その事自体はだれも変えることはできないのであるということを、納得しつつあります。インディアンの教えにある「変えられることを変える勇気と、変えられないことを受け入れる勇気」が必要なのでしょう。

【一念発起した2人の話】

   50歳になったころでしょうか。ある雑誌で読んだ、とある老人のエピソードが強烈に残っています。おおよそ、こんな話でした。

   ある男性が、孫に聞かれたそうです。「おじいちゃんは、何になりたかったの?」と。その男性は、絶句しました。小さなころは、夢があったのに、結局は、ごく普通の会社員として生きてきた。孫にも恵まれ世間的には幸せの「形」ができていた。でも、孫に自分が説明できない。その御老人は、なんとサーカスの団員になりたかったそうです。そして、孫に本当の自分を見せるため、そして自分自身のためでもあったのでしょう。かたっぱしからサーカス団に問い合わせて、年をとってからでも教えてくれるところを探したそうです。何度も断ら続けたものの、たしかヨーロッパのどこかの国だったと思いますが、やっと年寄でも教えてくれるところが見つかったそうです。そして、自分の昔の夢を叶えたとのことです。この男性は、死ぬ時にもきっと、「やりたいことをやり遂げた」と思い、やすらかに去ることができるのではないでしょうか。

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   同じような話で、今多くの人が知っているのは、三浦雄一郎さんです。三浦さんも一時期、パーティなどに参加するばかりで、ただの太った飲んべえのおっさんに成り下がったそうです。しかし、ここからがやはり偉大です。これではいかんと一念発起。ついにエベレストを目指し登頂したと聞いています。そして、今なお、エベレスト世界最高齢での登頂をめざしているのはご存じのとおりです。

 ■自分自身を振り返ってみて。

    人生の残り時間が気になり始めた自分とこのお二方を重ねると、自分はこのままでいいのかという脅迫観念に駆られます。人生はストーリーだとすれば、自分の人生を振り返って、すぐに思い出せる、そして、これが自分がやったことだと満足して、少しでも自慢できそうなこと。また、それを楽しみながら生きがいとしてやれそうなこと。それは何か?考えてみました。思い出せたのは2つでした。1つ目は学生時代にカナダを自転車で横断した時の様々な情景、その時にあった人々。2つ目は、会社に入り、30歳を過ぎてから、アメリカに留学した時の思い出です。なぜ、これを思い出したのでしょうか?

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   通常、皆が手に入れる普通の人生のメニューに、ささやかなりとも自分で用意した食材や料理を追加したからかと思います。生まれて学校に行って、大学を卒業し、会社に入って、結婚して子供と家族ができる、そして定年になり、悠々と(最近はそうも行きませんが)老後を送る。それが、用意されたメニュー、日常とすれば、そこ中に非日常を持ち込めた。そこには、気持ちの高揚や感動のような心の動きがあった。その非日常に喜びを感じているのだと思います。「人生の日常」に対する「人生の非日常」でしょうか。

   そんな、「人生の非日常」を自分で演出したこと、そしてそれを実現した自分の「行動」にささやかながら「誇り」を感じているのだと思います。サイクリングや大学での生活自体が楽しかったことももちろんです。

    変わりない日常でもそれが生きがいになる、また非常に立派なことと感じられる人もあります。例えば、仕事で本物のプロフェッショナルになっておられる方々がいます。このような人たちは、何十年にもわたり、同じことを尋常では考えられないほど繰り返し繰り返し続け、それにより悟りの境地に至っているのです。別に私の言っている非日常はないかもしれませんが、素晴らしい人生であるし、誇りをお持ちだと思います。追及すれば人間国宝となられるのでしょう。ただ、そのような人々は、その繰り返しの対象に対し生きがいを持っているでしょうし、その達成感は、人生ストーリーとして十分なのだと思います。私には向かない生き方ですが。

    マイケル・マスターソン氏(「大富豪の仕事術」ダイレクト出版)は、自分のコアバリュー(人の奥底にある善悪を判断する感覚)を見つけることが重要であると言います。その見つけ方として、1)健康、2)富、3)自己改革、4)社会的幸福の4つについて、自分の葬式の時に自分について言って欲しいことだそうです。まあ、人がどう思うか気にしてもしょうがないとも言えるかもしれませんが、人から評価されたい、受け入れてもらいたいという願望は誰しも持っているもので、自分の重要な価値観であることも間違いないと思います。

   私が書いた中で、言われて最も嬉しいかなと思ったのは、

・変わっていた(人と違っていた)

・輝いていた

・冒険野郎だった

・思いやりがあった

などです。

    これらと自分の人生を振り返って思い出したこと、「カナダの自転車旅行」は一致していました。

   だから、30年間の年月を経て、再度、「行動しよう」と思いました。自分の人生にささやかでも光るものを与えてくれた自転車を始めてみようと。生きがいとして、生きていた証として。誰が言ったか忘れましたが、「何度失敗しても最後に成功すればその人の人生は成功だった」とか。今からでも遅くはない。というか今からだからこそ早く始めなければいけないのではないかと思っています。

■だから、生きがい創造サイクリングを始めます

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  別に、ストイックに修行のような毎日を送り、ツールド○○で勝とうとかは考えていません。正直なところ、ピッカピカのロードバイクで、ヘルメット、アイウエア、レーサーシャツにレーサーパンツという出で立ちでさっそうと走るなんていうのは、ちょっと引いてしまいます。昔、よく走った時でも、普通のシャツやジャージにスニーカーで通していましたから。それに、カナダを横断してから30年もの間、買い物でママチャリにしか乗っていませんでした。最近、やっとクロスバイクを買い、会社の通勤で乗るようになったところです(「自転車の選び方・乗り方」もみてください)。

    55歳を過ぎてこれから定年を迎えられる方。既に迎えられた方。ライフステージの変化に伴い抱える不安。仕事、健康、経済、家族、そして、今後の生き方。なんとなく割り切れない気持ちでモヤモヤした毎日を送っている方はいませんか?そんな「モヤモヤ」した毎日を、サイクリングの楽しみを通じて、仲間と一緒に「ワクワク」した毎日にかえましょう。そんな活動を、「生きがい創造サイクリング」と呼ぶことにしました。

    スポーツサイクルでガンガンではなく、観光スポットや風景などを仲間とゆったり楽しみながら走ることから始めたいのです。

   普段行かない場所を車輪の上から発見する「旅」です。自分の足で走ったという「やった感」、「満足感」が得られます。そして、空気を直に感じる走りの爽快感で心身共に軽やかな自分を味わうことができます。

   自信がついたら、少し遠出も良いものです。海外サイクリングだって夢ではありません。サイクリングから帰ったら、自分の走ったところを地図の上に線を引いてみてください。あなたが地球に付けた足跡です。生きていた証です。ご自身の表現の一つです。友人に得意になって(?)話したくなることです。

   再度、サイクリングを通じて、ワクワクする人生を送ること。これが「生きがい創造サイクリング」の目標です。

    いずれにしても、日常から非日常に踏み出すには、とにかく「行動」することです。そして、その「行動」も仲間がいれはやりやすいのではないでしょうか。

   共感していただける方、一緒に、自転車はじめませんか。毎日が楽しくなり、ワクワクして生きて行ける。そして、人に自慢できる、自分でも満足できる人生ストーリーを創りませんか。

   とは、いっても、これから始めようという場合は、つづけられるかどうかも分からないし、自転車を買うとなると、それなりにお金もかかります。とりあえず、どんな風なのか味わってみたい方は、「トライアルコース」で一緒に楽しみませんか。私の好きな、横浜、お台場、鎌倉でやっています。予定は、最新のお知らせでも確認してください。

   それでは、一緒に走れる日を楽しみにしています。

木下

 

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