死を意識した時の生きがいとは ― 定年近くなり思う事

2014-09-09

■あなたの死ぬ日がわかる?

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科学技術の進歩で、どうやら、実際に病気になる前に自分の死ぬ日が分かってしまう時代がきているようですね。

『「死の確率」割り出します』(ニューズウィーク2014年9月9日号)によると、病気、殺人、労働災害、自殺といったビッグデータを解析することで個人の死亡率を推定する研究が進んでいるそうです。

■死期が分かることと「生きがい」が意味すること

これまでは、病気であれば、不治の病が発覚するなど、具体的に発症するまでは、自分がいつ死ぬのかなど宣告されることもありませんでした。

逆に言うと、まだ先がある、生きて何かをやれる「可能性」があると希望を持っていられました。

それなのに、まだ、可能性があると思っている時期に、先のこととは言え、その可能性を何時までですよと、完全に否定されてしまうことになります。

定年近くの私のような年になると、若いころよりも、その「可能性」が終わる時が近づいているのかもしれないなと、うすうす感じてきているものです。

たぶん、その「うすうす感じて」いるのが、更に年を重ねるうちに、だんだん「濃く(?)感じ」てくるのかもしれません。

あるいは、慣れっこになって、平気になってしまうのでしょうか。

先になってみないとわからなさそうです。

私は、まだ達観しているわけではない普通の人ですので、その「うすうす感じる」中で、ちょっと焦りながら、それを否定するために「生きがい」を求めているような気がします。

■残された時間から考えた「生きがい」

さて、仮に「死までの時間」が分かった時に、何をしたいと思うかで、自分の「生きがい」は何かについて考えてみました。

例えば「10年」だったとしましょう。

短いようで長い。長いようで、短い。

10年の時が与えられたら(10年しかなかったら)、何をしたいのであろう?

残念ながら、すぐには思いつきません。

何かまとまったことをやり遂げたいなと思いう程度です。

では、思いっきり短くして「1日だけ」だったとしましょう。

いったい、何をするのでしょう?

どうしても、やっておきたい、仕事や、自分の完成したいライフワークなどがあるわけではないので、困ってしまいます。

自暴自棄になって、死ぬほど(!)酒を飲む?

うまいものをたらふく食べたい?

まとまったことをするには時間が無さすぎます。

ふと思うことは、家族、そして、気の合う仲間に会いたい。

そして話をしたり、飲んだり食べたりする時間を過ごしたいということです。

そう、考えると、自分の最後の時に会っておきたい人、仲間を作る、そして一緒に過ごす時間を大切にするという事は、もしかしたら、「生きがい」の重要な一つではないかと思うのでした。

 

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